広島、長崎。そして新潟と小倉

こんにちは。


数あるサイトから当ブログに訪問頂き、ありがとうございます。





8月も半ばを過ぎました。





日本にとって、8月はお盆があり、また15日は終戦記念日でもあるので「いのちと平和」について考える機会が多くあります。

決して「自分の生まれる前の話だから関係ない」ことはありません。











その中でも、今回は大戦末期に投下された「2つの原爆」について書こうと思います。





先の大戦で犠牲になられたすべての方に哀悼の意を表しつつ、進めていきます。




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1945年7月16日、アメリカ中部にあるニューメキシコ州ソコロという場所で、世界で初めて開発された爆弾の実験が行われました。



この実験は成功を収め、まだ戦争状態にあった日本へ投下すべく、準備が進められました。











通常の爆薬のみを使った爆弾とは異なり、核分裂現象で生み出される膨大なエネルギーを利用した爆弾。














原子爆弾です。
















実験の成功と同時に、「どこに投下するか」という議論も行われていました。





1945年7月25日、遂にアメリカ大統領であったトルーマン原子爆弾の投下を承認。その命令書には、





「1945年8月3日頃以降、天候が許す限り、最初の特殊爆弾を次の目標地に投下せよ。”広島””小倉””新潟””長崎”」






とありました。
























そして運命の8月6日。





この日の広島は朝から晴天が広がり、原子爆弾リトルボーイ」を積んだB-29エノラ・ゲイ号」のコックピットからも市街地が良く見えたことでしょう。






そして1945年8月6日午前8時15分。








広島市の中心部めがけて投下された原子爆弾は上空約500m付近に達したところで核爆発を起こし、文字通り「一瞬で」壊滅状態になってしまいました。









その3日後。







再び原子爆弾、今度は「ファットマン」を積んだB-29「ボックスカー号」が離陸。





はじめは第一目標であった小倉市(現北九州市)に飛来、照準点を探すもあいにくの曇り空と靄、煙に阻まれて難航しました。



そうこうしているうちに日本側の攻撃も激しくなってきたので小倉を離脱、第二目標であった長崎に向かいました。





長崎市も小倉同様に曇り空に覆われ市街地が見えませんでした。



帰りの燃料の関係上、作戦を中止して原子爆弾は太平洋に投棄するしかないと思われた矢先、曇り空の僅かな切れ間から長崎市街が見え、そこをめがけて原子爆弾を投下しました。





時に1945年8月9日午前11時2分。




当初の目標から大きく外れてしまいましたが、それでも長崎の市街地は壊滅的な被害を受けました。















そうなのです。長崎に投下された原子爆弾は、当初は小倉に投下される予定だったのです。









そして、私の住む新潟市も、原子爆弾投下の候補地に挙げられていたのです。



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投下の候補地を選定する過程で条件の一つに挙げられたのが、「未だ目立った空襲を行っていない都市」でした。




その理由は簡単です。




原子爆弾によって都市がどのように破壊されるのかを検証するためです。




たった1発で都市を破壊できる能力がある原子爆弾を、既に破壊している都市に投下しても意味がないからです。





新潟市は、散発的な機銃掃射や新潟港の機雷封鎖は行われてきましたが、B−29が編隊を組んで絨毯爆撃を行ったことはありませんでした。






そこで選定の途中から新潟市が加わり、「原子爆弾投下候補地に対する空襲の禁止」が発令されました。







長岡市が大規模な空襲を受けたにもかかわらず新潟市が目立った空襲を受けなかったのはこのためだったのです。

長岡市聯合艦隊司令長官山本五十六元帥の出身地ということもあり、特に大規模な爆撃が行われました)





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長崎の次はどこに投下する予定だったのかは、今となっては深い深い闇の中。






偶然に偶然が重なって、大規模な空襲をうけなかった新潟市小倉市




69年前に起きた悲劇を再び繰り返さないために。




そして、原子爆弾の投下候補地に指定されていた都市に生まれた者として、何をすべきか。




毎年、この時期が来るたびに考えさせられます。









今回はここまでです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

皆さんの心に、爽やかな青空が広がりますように。